漫茶羅
漫茶羅(まんちゃら)とは2020年に川上漫二郎が提唱した作画、作曲、造形の三本柱からなる総合芸術、芸道。
2020年漫茶羅宣言に端を発する運動。
概要
漫画やアニメなどのサブカル文化を出発点としつつ、芸術を謳いメインカルチャーを志向する。
共通のテーマに向かって作画、作曲、造形、各ジャンルからアプローチし、
相互作用して生まれる複合的で重層的な「面白さ」を楽しむ。
対面式の作り手と受け手の交流が漫茶羅の大きな特徴であり、
グループ展(個展)やテーマ喫茶、同人イベントと言った形式に近いが
広い意味でサブカル系サロン(交流会)の一種である。
歴史
2010年の非実在青少年問題から漫画、アニメ、同人といったサブカル界に表現規制の波が押し寄せ、
インターネット(SNS)や電子端末などの新メディアの登場により、
出版やアニメ、音楽など既存のメディア産業が停滞する背景があった。
2020年東京オリンピックの開催とそれに伴うコミケ会場問題も起こり、
漫二郎本人も2015年から東京で同人活動を再開する中で、クリエイターとして将来に閉塞感を感じていた。
2018年頃から漫画やイラストだけに留まらず
ワンフェス初参加から立体造形や音楽制作など創作分野を拡大する一方で
自身を含め日の当たらないクリエイターの受け皿となるべく、
全く新しいメディアを作り上げ、既存メディアの発展的解消を目指す着想が生まれた。
情報過多な現代だからこそ、ゆとりある生活を取り戻す必要がある。
戦後から高度経済成長を経て物質的豊かさを求め続けてきたが、
3.11などの自然災害で一瞬にして崩壊してしまう脆さがあった。
ここで一度日本人の生活様式を見直すべきというテーマも生まれ、
物質的ミニマリズム(データ化)×精神的マキシマリズムを目指す方向性が固まったが、
この文化的生活様式から変えようという発想は漫二郎の実家の家業である家具販売とも関わる部分であり、
30歳を迎え、5年に渡る漫画家志望者として東京生活の総括、
そして、コロナ禍での京都の実家への転居という決断において
家業を手伝いつつも創作の灯を消さないという個人的な想いや自身の生活の変化が背景にある。
漫茶羅の構造
漫茶羅には一次創作、二次創作という従来の区分けはなく、一次表現者、二次表現者と呼ぶ。
漫茶羅の本質は作画、作曲、造形の三要素の融合である。
この漫茶羅の根幹部分に関わるクリエイターを一次表現者と呼ぶ。
少人数の一次表現者は他ジャンルとの融合に努めて内向きに作品世界を深めていく。
それぞれの重なる部分は人材が必要になるため、二次表現者が大きな役割を担う。
一次表現者が兼任することも可能だが、クリエイター仲間など外注クリエイターや受け手、ファンダムを有効活用する。
二次表現者は外向きでアクティブ。漫茶羅運動を拡大していくには必要な存在である。
このように漫茶羅はファンダムも含めて成立する参加型メディアであり、
作り手と受け手の立場は平等で、この立場は流動的に入れ替わる。
名称由来
わび茶からくるミニマルな美意識に曼荼羅に見るマキシマムな精神世界を足したものである。
元々、千利休の「わび茶」をモデルとしたミニマルな空間を作り出そうという意図から
わびに代わる新時代の美徳として「萌え茶」を考え出すが、一般的な「萌え」の解釈と隔たりがあり、
単純に漫画から一字を取って「漫茶」(まんちゃ)と命名した。
しかし、漫画喫茶と混同されるおそれがあったため、
最終的に字体が似てる仏教用語の曼荼羅(まんだら)を模した名称になった。
漫茶羅は曼荼羅同様に作品世界そのものを一言で表せるし、川上家が仏教徒の家系なので相応しい。
より具体的な内容を現す場合、それぞれ漫=漫画、ちゃ=おもちゃ(造形物)、ラ=音階のラ(音楽)を意味し
「漫ちゃラ」と表記することも可能。
何故お茶か?
※茶道はあくまでイメージであり、茶道を名乗り、茶道そのものを極める意図はない。
茶道(わび茶)は単に美味しいお茶を飲むだけの行為ではなく、
茶道具や床の間に飾られる掛け軸、茶を点てる動作、茶室に響く庭の水音、
その空間、時間の全てが芸術であり、漫茶羅の三位一体思想に通じる。
- 「三時のおやつ」「アフタヌーンティー」のようにライフスタイルとして定着させたいという意図。
- 出身地である宇治が茶の名産地であるため相乗的な宣伝効果を狙える。
- 自分自身が心から落ち着き、楽しいと思えた時間空間を思い出し、具体的な形にするため。
喫茶店(何も考えずに落ち着ける場所)×おもちゃ屋(プラモやフィギュアを眺めて興奮できる場所)
漫茶羅構想のモデル
永野護「ファイブスター物語」
ファイブスター物語は漫画作品であるが、単なる漫画ではない。
基本的に架空のSF年表が主軸となっており、そこから切り取って漫画化、映像化がされているが、
そうした作品化さえされていない設定が豊富にあり、それは設定集やイラスト集として展開される。
また作者はデザイナー出身でありプラモ製作を趣味とするモデラーでありながら、
学生時代はバンドを組んだりとロックなど音楽の造詣も深い。
数々のレイヤー泣かせのファッションやモデラー泣かせのロボットをデザインし、
コスプレ界やガレージキット界に影響を与え続け、作品のイメージアルバムも自主制作している。
つまり漫画だけではなく、コスプレやガレージキット、音楽など様々なジャンルで導線を張り巡らし
中心には永野護自身がメディアとして存在しているのである。
メディアミックスが進み、ネット時代に突入、まさに現代向けの活動方式であるとも言える。
永野護は漫画界で稀有な存在であり、このメディアを形容する言葉はない。(永野護メディアという他ない)
手塚治虫による戦後漫画のように確立されたものでなく、
後続作家のフォロワーが少ないこともあって一部の熱狂的なマニア以外に評価が低い。
漫茶羅は複数人で分業した形でこの構造をさらに整理し、洗練させジャンルとして確立させる。
従来の漫画・アニメとの比較
ジャンル | 漫茶羅 | 漫画 |
構造、表現法 | 設定、図解的表現、三次元 | ストーリー、映画的表現、二次元 |
面白さの感じ方 | 情緒的、空気感、心で面白い | 論理的、スピード感、頭で面白い |
作品展開 | 静的 | 動的 |
思考方法 | 宗教的、民族的 | 科学的、国際的、ニュートラル |
業界の広がり | 横のつながり | 縦割り |
産業拡大の流れ | 作画、作曲、造形、
多方面からのアプローチ(相互往来) |
漫画→アニメ化(音楽)→グッズ(一方通行)
orメディアミックス |
漫茶羅は手塚死後世代のクリエイターによるメディアとして
従来のサブカル界のメインストリームであった漫画アニメを生んだ手塚神話からの脱却を意図している。
週間連載や低予算でのアニメ制作という代償により、
戦後経済成長と共に日本中、世界中に広がったサブカル文化であったがここに来て限界を迎えている。
アンチ手塚と言えば「劇画」があったが、
その描画手法や作品テーマに特有の特徴はあっても
手塚漫画の土台の上に成り立つというメディア自体には変化がなく、
大友克洋の登場と手塚自身が劇画を内包する形で劇画そのものが死んでしまった。
漫茶羅は根本的な部分で手塚治虫の生みだしたメディアの解体を目指す。
手塚の死後に発達した3Dを活用し、製作時間や人件費などの手間を省きネットを介して産業を広げていく。
従来の生産性を求め続けた消費スタイルによって
手塚本人をはじめ過労により多くのクリエイターが早死にした反省として
漫茶羅はサブスクリプションのビジネスモデルを取る。
漫座
漫座とは漫茶羅専用の劇場やライブハウスを兼ねる総合テーマパークである。
漫茶羅はインターネットでの普及を意識しつつも
リアルでは茶室を模した極めて個人的で小規模な空間で展開されるものであるが、
将来的に参加者が拡大した際には大茶会と称してさらに大きな空間が必要になる。
漫座はそれに答える存在であり漫茶羅普及の拠点になる。
漫画はアニメーション(時間芸術)となりテレビや映画館というメディアで展開した。
漫茶羅は能のような静的な空間芸術を意識しており、
歌舞伎座など日本における伝統的な芝居小屋である座を名乗る。
様々な映画を上映する無機質でニュートラルな既存の映画館とは違い
宝塚大劇場やAKB48劇場のように特別な空間を作り上げ、
漫茶羅のビジュアルイメージを伝えるものとする。
漫茶羅とは漫画やアニメーションなどのサブカルを分解し再構築させた新しいメディア。
単に同人喫茶の一種でもあり、その場(茶室)での空間、時間を含めた総合芸術である。