後編 ユダヤ人による世界支配の完成

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このページは歴史と神話の黙示録旧約後編です。 

歴史と神話の黙示録
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後編 後編

旧約後編

後編 ユダヤ人による世界支配の完成

モンゴル帝国~欧州の動乱と宗教改革~

モンゴル帝国

「蒼き狼」ことチンギス・ハンはビスマークと協力して、世界征服を目論んだ。(元寇)

目的は箱舟の確保、独占であった。

ビスマークを味方に付けたモンゴル軍は強大で中国大陸を統一。

イスラム帝国をも滅ぼし、瞬く間にユーラシア大陸を我が物にせんとしていた。

オゴダイ・ハンの時代にはヨーロッパにも侵攻。

バトゥがワールシュタットの戦いにおいて神聖ローマ帝国を破り、箱舟を強奪した。

13世紀はモンゴルの世紀であった。

そしてヨーロッパにとっては中世暗黒時代の始まりであった。

14世紀中ごろ、ビスマークもアフリカ北西部に軍隊を送り、

密かにペスト菌を持ったネズミを生体兵器として船に紛れ込ませてイタリアに送った

そこからヨーロッパ中で黒死病(ペスト)の大流行が始まった。

黒死病はヨーロッパの総人口の約三分の一を死に至らしめた。

この際、「井戸にユダヤ人が毒を入れた」という噂が広まり多くのユダヤ人が殺害されたが、これもビスマークの策略だった。

人々はただキリスト教にすがる事しかできなかった。

イスラムとの対決を続けてきた西洋は東洋の新勢力に衝撃を受け、

この時の恐怖は20世紀における日本や中国に対する黄渦論に繋がっていく。

YuanEmperorAlbumGenghisPortrait.jpg YuanEmperorAlbumOgedeiPortrait.jpg
初代チンギス・ハン肖像(14世紀 国立故宮博物院蔵) 二代目オゴダイ・ハン肖像(14世紀 国立故宮博物院蔵)
Bitwa pod Legnicą.jpg Nuremberg chronicles - Dance of Death (CCLXIIIIv).jpg
「ワールシュタットの戦い」(マテウス・メーリアン作 1630年) 「死の舞踏」(ミヒャエル・ヴォルゲムート作 1493年、版画)

モンゴル帝国はヨーロッパからその地位と箱舟を強奪したが、

空前絶後の大帝国となったその広大な国土を維持するためにインフラを整えた結果、

ヨーロッパから黒死病が伝染する事となり、

黒死病のパンデミックは箱舟の宇宙船技術の著しい低下をも招くこととなった。

帝国の分裂と土着人の反乱にあい、次第にモンゴル帝国の勢力は弱まっていった。(鎌倉幕府の崩壊)

広大な支配地は、モンゴル帝国崩壊後に台頭してきたロシア帝国の領地になった。

100年戦争とジャンヌ・ダルク

フランスの王位継承者問題が発生しフランスとイギリスが対立、100年戦争(承久の乱)が起こる。

初期は連射可能な長弓を持つイギリス軍が優勢だったが、

ジャンヌ・ダルク(北条政子)の登場により形勢は逆転。フランスの勝利に終わった。

イギリスはドーヴァー海峡に追い詰められ、大陸における領土のほとんどを手放し降伏した。

両国の領土や国民性はこれにて確立された。ノルマン人が残した負の遺産も消滅した。

しかし、黒死病の流行と100年戦争により荒廃した両国で

「ジャックリーの乱」「ワット=タイラーの乱」など封建制に反対する農民の反乱(悪党)が相次いだ。

Joan of Arc miniature graded.jpg Hojo Masako.jpg
ジャンヌ=ダルクの肖像(1900年) 北条政子(菊池容斎画、江戸時代)

ルネサンスとルターの宗教改革

異民族の侵入から暗黒時代に入ったヨーロッパは十字軍を通じてイスラム文化の刺激を受け、

ヨーロッパ文化を再生しようとイタリアを中心に古代への復古運動(ルネサンス)が興った。

神聖ローマ帝国ではルター(日蓮)が聖書の理念に戻るべきと訴え、教会批判を行って宗教改革のきっかけを作った。

これも一種のルネサンス運動と言える。

やがてルターの運動は新教プロテスタント(法華宗、日蓮宗)の誕生に繋がる。

プロテスタントはローマ・カトリックと対立するようになり、

以後、ドイツ農民戦争(正長の土一揆)やオランダ独立戦争(嘉吉の乱)などの宗教戦争が勃発した。

Lucas Cranach (I) workshop - Martin Luther (Uffizi).jpg Nichiren Daishonin Hakii Portrait.jpg
マルティン=ルター

(1529年 ルーカス・クラナッハ画)

日蓮

(15世紀 身延山久遠寺蔵)


近世

大航海時代~植民地主義の始まり~

大航海時代の始まり

イギリス、フランス、ドイツなどが疲弊した後に台頭してきたのが

レコンキスタでイスラム勢力を追い出した後のポルトガル(南朝)とスペイン(北朝)などのイベリア諸国だった。

15世紀ごろ両国は二つの目的のためにアジア方面に進出しだした。

一つはプロテスタントに対抗してカトリック教の普及

もう一つは肉の保存料だった香辛料を中間貿易に頼らず自ら手に入れるためだった。

しかし、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を滅ぼしたオスマントルコ帝国が、未だ地中海のほぼ全域を抑えていたため、

ポルトガルはバスコ・ダ・ガマを派遣し、アフリカの西海岸を通ってインドに向かう航路

スペインはコロンブスを派遣し、大西洋をひたすら西に向かう航路をそれぞれ発見。

スファラディ系ユダヤ人の支援を受けたコロンブスは新大陸に到達し大航海時代に突入。

以後、スファラディ系ユダヤ人はスペイン本国からの迫害を逃れ、南米へ移動し経済的な地位を獲得していくが、

スペイン本国がすかさずその利益を独占し始め、ユダヤ人たちは北米へさらに逃れた。(この経緯が合衆国のユダヤ人文化に影響を与えている)

スペインとポルトガルは南北アメリカ大陸、アフリカ、アジア各地を次々に占領していき、

ローマ教皇はトリデシリャス条約により、世界をスペイン領とポルトガル領に二分した。

ローマ教皇は両国にモンゴルに奪われて行方が分からなくなっている箱舟を見つけるように指示した。

トリデシリャス条約はイベリア諸国の海外領土における実効支配を認める側面よりも

箱舟の捜索エリアの分担という側面が強かった。

スペインの天下

16世紀はスペインの世紀だった。

スペイン国王フェリペ二世がポルトガル王を兼任する事でポルトガル併合(南北朝合一)となり、

世界を二分したもう一つのポルトガルの海外領土をも手にすることになったため、

文字通り「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。(大内氏)

フィリピン諸島の名称もフェリペ二世に由来する。

スペイン大躍進の背景には無敵艦隊の連勝もさることながら箱舟の発見がある。

黒死病のパンデミック以来、箱舟はもはやビスマークに到達する能力はなく、

地球代表権の象徴でしかなかったが、

ビスマークが周辺国の冊封再構築に動いたため、

スペインの貴族は宇宙海賊を取り締まることを条件に宇宙船を手に入れてビスマークとの貿易を再開した。

しかし、オランダ独立戦争(嘉吉の乱)の敗北や

ホマリと共謀したイギリス侵攻作戦であるアルマダ海戦(応永の外寇)で

無敵艦隊がイギリス・オランダに破られるなど

次第にカトリック系のスペインの国力は衰え、

独立を勝ち取ったプロテスタント系オランダが台頭するようになっていった。

16世紀後半、1590年には極東の島国、日本が豊臣秀吉により統一された。(中山王、琉球統一)

先述のフィリピンを始めアジア侵略を行うカトリック・スペインに危機感を感じた日本は

バテレンを追放しキリスト教を排除しつつ、

ほぼ同時期に独立したプロテスタント系のオランダと関係を築いた。

プロテスタントはカトリックのように布教を目的としなかったため、

その後、日本が鎖国対策を取る中で例外的にオランダは貿易が認められ、日本との貿易を独占することになる。

「無敵艦隊の敗北」 (フィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグ 画 1797年)

絶対王政と植民地主義

スペイン没落後、旧教カトリックと新教プロテスタントとの教会の分裂、対立を解消するため

イギリス、フランス、オランダ、オーストリア、ロシアなど相次いで中央集権的な絶対王政(戦国大名)の政治体制を取り発展した。

絶大な影響力を誇っていたローマ教皇(天皇)の権威はさらに低下した。

イギリスはエリザベス女王の元、スペインの無敵艦隊を破ったり、オランダ独立戦争などで新教派を支援し国際的地位を高めた。

フランスは太陽王と呼ばれたルイ14世によってヴェルサイユ宮殿が建設されるなど王政最盛期を迎えた。

ロシアはタタールのくびき(モンゴル支配)を経て、ロマノフ朝を築き、ピョートル大帝中心に近代化を進めた。

イスラム教国、オスマントルコ帝国の力もいまだ健在であった。

カトリックが強く絶対王政に移行できなかった神聖ローマ帝国では

最後の宗教戦争であり、最初の国際戦争である30年戦争が勃発。

国土は荒れ、最終的にウェストファリア条約により終結。

フランスとスウェーデンは国土を増やし、神聖ローマ帝国は事実上解体。スイス・オランダの独立を正式に認めた。

17世紀はオランダの世紀と呼ばれ、世界の海上権はスペイン無敵艦隊の敗北以降、

オランダが握っていたが、三度行われた英蘭戦争でオランダが疲弊すると

第二次英仏百年戦争と呼ばれるイギリス(東軍、細川氏)とフランス(西軍、山名氏)の二大国による抗争に発展。

フレンチ・インディアン戦争(応仁の乱)にイギリスが勝利したことにより、北米大陸におけるフランスの領土は消滅。

イギリスの覇権(大英帝国)となった。箱舟もイギリスの手に渡った。

イギリスはヘンリー8世の国王至上法以来、宗教改革において誕生した国教会の首長となりカトリックと決別、

イギリスにはプロテスタントが溢れかえり、黒魔術など反キリスト勢力も混じり込み、ローマ教皇の権威も機能しなくなった。

フリーメイソンの誕生もこの時期である。

そして、世界は強いものが弱いものを征す弱肉強食の時代に移ろうとしていた。

西洋の国々は次々にアフリカ、アジア各地を支配し、原住民と資源を独占、植民地にしていった。(戦国時代)

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「ウルフ将軍の死」(ベンジャミン・ウエスト作 1770年) 応仁の乱「真如堂縁起絵巻」(掃部助久国筆 1524年)

                                    


近代

アメリカ独立戦争とフランス革命…そしてナポレオン時代

フリーメイソンの暗躍

18世紀は革命の世紀と言えるだろう。

大英帝国は北米大陸を抑え大発展したが18世紀後半、アメリカの13植民地が独立を訴えて反乱。(アメリカ独立戦争)

1776年、アメリカがイギリスから独立した。

フランスはこの際にアメリカを支援し、北米植民地戦争の借りを返すことに成功するが、

国家財政は底をつき、不満が爆発した市民たちのフランス革命によってルイ16世は処刑。

絶対王政が廃止され共和制に移った。

この二つの出来事には

イギリスにおいて誕生したフリーメイソンと呼ばれるアシュケナージ系ユダヤ人たちによる秘密結社が大きく関わった。

フリーメイソンリーのシンボルマーク (出典:MesserWoland)

大国の狭間で自らのアイデンティティーまで曲げて生きていかなくてはならなかったハザール人(アシュケナージ系ユダヤ人)が、

国家を失い、他民族の下で各国の少数派として差別を受けてきた中で、

民族主義と各国の王政を廃し世界を統一し、真の平等社会を築こうという動きだった。

革命後のフランスでナポレオン(上杉謙信)が登場。

フリーメイソンの指示により、フランス革命を波及させるためにナポレオン戦争を起こす。

教皇の手を借りず、自ら冠かぶったナポレオン皇帝はヨーロッパ大陸の大半を占領し、全ヨーロッパにその名を轟かせる。

しかし、トラファルガーの海戦でイギリス海軍のネルソン提督により、ナポレオンのイギリス上陸が阻止される。

これに対しナポレオンは大陸封鎖令を出し、イギリスに経済制裁を加えた。

しかし、産業革命を起こしたイギリスの製品が買えなくなるとヨーロッパ各国は反発。

ロシアが大陸封鎖令に反したため、ナポレオンはロシアを征伐するが冬将軍に合い敗退、(ロシア遠征)

一時、皇位を取り戻すも、ワーテルローの戦い(第4次川中島の合戦)の敗北を最後にナポレオン時代は終わり、ウィーン体制に移行した。(百日天下)

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「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」

(ジャック=ルイ・ダヴィッド 1805年)

上杉謙信「芳年武者旡類:弾正少弼上杉謙信入道輝虎」

(月岡芳年作 1883年)

産業革命と軍拡競争の波及

産業革命はフランス革命に対抗するためにリマ星(ガトルポ王国)が意図的にイギリスで起こさせたものだった。

イギリスの産業革命は結果としてナポレオンを追い詰め、イギリスによる世界統一を加速させた。

しかし、産業革命は資本主義と共に欧米に広がり、各国の軍拡競争をさらに激しくするものでもあった。

ナポレオン戦争後、ナポレオン撃退の一翼を担ったプロイセン王国(神聖ローマ帝国)でも産業革命を向かえ、

鉄血宰相ビスマルク(武田信玄)による卓越した外交手腕でフランスを孤立させ、

軍事力を強化して普墺戦争普仏戦争を勝利に導きドイツを統一、プロイセンはドイツ帝国となり小国から大国にのし上がった。

独立したアメリカでも産業革命が起こり大陸横断鉄道など西部開拓を行って領土を広げ、

米墨戦争でカリフォルニアを獲得し太平洋に面すると欧州に遅れて海洋進出を行った。

1850年代にはペリー提督によって日本開国を実現するが、その後、南北戦争が発生したため海外進出が停滞。

その間1868年に開国した日本で明治維新が起こり、日本でも産業革命が起こる事になる。

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オットー=フォン=ビスマルク 武田信玄(歌川国芳作 1843年-1847)

※この当時、銀河系では宇宙大航海時代と呼ばれ、

リマ星のペインズ王国とガトルポ王国を中心に頻繁に銀河中を旅して、リマ教(キリスト教)の普及や資源などの確保に乗り出した。

イギリスの蒸気機関の発展などの産業革命にも飛来したリマ星人の技術が多く使われている。

しかし、これが原因で資本家や労働者が大きな影響を持つようになり多くの政治的事件を引き起こした。

これもリマ星人の策略であり、フリーメイソンによる地球統一を妨害し、この動乱に乗じてリマ教を布教しようとした。

実際、アフリカ(リベリア)やイギリス、イベリヤ半島、中東地域などで信者を集め、ナポレオンと戦った。

奇妙にも後にそれらの国が地球を統一していくことになる。

第一次世界大戦~イギリスの世界支配と植民地主義の限界~

未曽有の世界大戦

ヨーロッパ諸国はリマ星人が地球で行ったことを見本にアフリカ、アジアへキリスト教を布教し、

次に軍隊を派遣して次々に植民地にしていった。

とくにイギリスは1840年にアヘン戦争で清を破り、香港を割譲。

1857年にはインドのムガル帝国を滅亡に追いやり、直接統治した。(北条早雲の伊豆制服)

こうしたアジアの大国を破ったヴィクトリア朝のイギリス(織田信長)は世界の3分の1を支配し、「太陽の沈まぬ帝国」となった。

19世紀はイギリスの世紀だった。

イギリスはその海外領土と海軍力を持って「栄光ある孤立」と呼ばれる孤立政策を取っていたが、

20世紀に入るとアラスカやハワイを取り込み米西戦争でフィリピン、グアムなど太平洋に進出したアメリカ

重化学工業で急速な発展を遂げたドイツなどの新興国によって圧倒的な軍事力にも陰りが見え始め、

ドイツを中心としたオーストリア=ハンガリー、イタリアの三国同盟と露仏同盟、ヨーロッパ主要国がどちらかに傾斜する中、

海洋国家イギリスは植民地政策で大陸国家ロシアと対抗するため(グレート・ゲーム)

孤立政策をやめて同じ島国である日本と同盟を結び、日露戦争で日本を積極的に支援した。

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ヴィクトリア女王(ジョージ・ハイター作 1838年) 織田信長(狩野元秀 作 1583年)

19世紀はパックス=ブリタニカと呼ばれるイギリス大繁栄の時代であったが、

20世紀に入った最初の年である1901年に「ヨーロッパの祖母」とも呼ばれたヴィクトリア女王が死去し、

ヨーロッパ各国の王朝は相次いで危機を向かえる事になった。

列強の植民地政策が対立、バルカン半島におけるオーストリア皇太子暗殺事件を発端に、

オーストリア・ハンガリー帝国(今川義元)とドイツ帝国を中心にした同盟国

イギリス・フランス・ロシアを中心にした連合国との間で未曾有の第一次世界大戦(桶狭間の戦い)が勃発。

機関銃の登場により、ナポレオン戦争以前の騎馬隊による突撃という戦法は消滅、塹壕戦に突入し戦線は膠着、長期戦になった。

この状況を打破するために各国は毒ガス等の化学兵器、戦車、飛行船、飛行機などの大量破壊兵器を投入し、

軍人だけでなく銃後の女、子供も巻き込んだ総力戦となった。

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ソンムの戦いに投入されたマークI戦車(エルンスト・ブルックス 1916年) 義元に槍を突きつける服部小平太(『尾州桶狭間合戦』歌川豊宣画 1882年)

                          

戦争は連合国の勝利に終わった。

オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、東ヨーロッパに新国家が多数独立。

ドイツもドイツ革命により、王朝が崩壊。

ヴェルサイユ条約で全ての植民地を無くし、戦勝国から天文学的数字の賠償金を求められ後にナチスが暴走する原因を作った。

またロシアも大戦中、王朝に反対する労働者がフリーメイソンの扇動によってロシア革命を起こし、ロマノフ王朝が滅びた。

この戦争を通じてドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国の四つの帝国が崩壊し、

ヨーロッパの君主制は崩壊した。

戦勝国のフランスや君主制を維持したイギリスも国土を痛めつけられ、ヨーロッパ全体が没落。

代わりに、国土が戦場にならず戦勝国となったアメリカと日本、太平洋を挟んだ二国が台頭してきた。

フリーメイソンの目論みはヨーロッパにおいて成功した。

箱舟はこの大戦により行方が分からなくなったが、破損、欠損した状態で敗戦国ドイツに移ったと見られる。

箱舟を継承したドイツは後に多くの秘密兵器を開発する事になる。

この頃、ホマリ星の地球人移住地で地球人の反乱が起き、ホマリとの国交が断絶。(三浦の乱)

後に和解したが、この反乱の後、イギリスがホマリとの貿易を独占した。

イギリスはビスマーク星内でもスペインと貿易の独占を賭け戦闘を起こした。(寧波の乱)

このように異星人との貿易はほとんどイギリスが独占しており、イギリスの覇権が続いていることを証明していた。

共産主義とファシズム

ロシアで資本主義、帝国主義の失敗に反省するべく、レーニン(豊臣秀吉)を中心に共産論が広まる。

そして、第一次世界大戦の最中、ロシア革命が起こり、各国が干渉するも、ソヴィエト社会主義連邦共和国が成立する。

レーニンの後を継いだ強力な指導者スターリンは、革命のための戦争を開始した。

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ウラジーミル・レーニン(1920年) 豊臣秀吉(狩野光信作 1601年頃)

ソ連は日本やヨーロッパ諸国、アメリカなどと対立するが、

共産主義もまた、フランス革命やアメリカの独立に関与したユダヤ系のフリーメイソンが関わっていた。

彼らは15世紀から16世紀にかけポーランドにおり、力をつけ18世紀末におけるポーランド分裂の中で、ロシアに侵入。

刻々とロシア革命(ユダヤ革命)の準備をしていたのだ。

そして、リマ星人が広めていった資本主義を払拭するために革命は起こった。

一方、敗戦国ドイツでも貧困にあえぐ国民の前に強力な指導者ヒトラー(武田勝頼)が現れ、

民族的優越感を説き、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)はドイツで圧倒的支持を受けることになる。

だが、フリーメイソンは世界の統一のため支障になる民族国家を無くそうと、

再びナショナリズムが台頭したドイツ新興の民族国家日本に対し攻撃をくわえようと画策した。

それを見抜いていたヒトラーは直ちにアシュケナージ系ユダヤ人をこの世から抹殺すべく、ホロコーストを開始した。

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アドルフ=ヒトラー(ハインリヒ・クニル作 1937年) 武田勝頼(16世紀後半 高野山持明院蔵)

第二次世界大戦~民族国家の没落~

第二次世界大戦

第一次大戦後、世界は平和の道を歩もうと国際連盟を設立。しかし、実際には、ほとんど効力が無かった。

アメリカの経済界を支配するフリーメイソンが仕組んだ世界恐慌が起こり、世界経済は打撃を受けた。

特に敗戦国のドイツは深刻な状況だった。

植民地を多く持つイギリスやフランスなどは自国に有利なブロック経済をとり、諸外国をさらに圧迫した。

植民地の少ないドイツ、イタリアは資本主義と共産主義の対立の解決や、新たな植民地の獲得のため軍国主義、ファシズムに走った。

イタリアはエチオピアに侵攻し、ドイツがポーランドを攻め、ポーランドと同盟を組んでいたイギリス、フランスがドイツに宣戦布告。

第二次世界大戦(長篠の戦い)が始まった。

その後、ドイツはポーランドを分け合い不可侵条約を結んだソ連に突如侵攻、独ソ戦が始まり、

既に中国と戦っていた日本の真珠湾攻撃により中立を保っていたアメリカが参戦することで文字通り世界的大戦に発展した。

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電撃戦

(出典:Bundesarchiv, Bild 101I-218-0504-36 / Dieck / CC-BY-SA 3.0)

武田騎馬軍団

(1750頃~1850頃 長篠合戦図屏風)

開戦当初のナチスドイツの電撃戦(武田騎馬軍団)は成功し、かってのナポレオンのようにヨーロッパ全土を支配した。

バックには地球の統一に反対するリマ星の援助があった。

ナチスは箱舟やリマ星の最新技術を応用し、ジェット機やロケット、弾道ミサイルなど数々の秘密兵器を開発した。

しかし、歴史は皮肉にもナポレオンと同じようにイギリス侵攻の失敗やソ連の冬将軍に合い、

アメリカを中心とする連合国の物量の前にドイツは再び敗れるのである。

戦後ドイツはアメリカとソ連に東西で分割統治され、最先端のドイツの科学力の遺産は両国に継承され、

その後の冷戦における核開発競争、宇宙開発競争に繋がっていく。

民族国家と植民地主義の没落

ユダヤ人はいつまで経っても戦争をしかけない日本(明智光秀)に苛立っていた。

日本はいち早く経済を立ち直らせていたのだ。

日本を追い込むため、フリーメイソン=アメリカ、イギリス、オランダ、中国は

中国、仏印の侵略阻止を名目に経済制裁(ABCD包囲陣)をかけた。

そして、日本の生命線だった満州国の中国返還、仏印からの撤退と無理難題をかけ

ついに日本軍により真珠湾攻撃が行われ、アメリカの参戦の大義名分が作られた。

フリーメイソンは民族国家滅亡のために一時、対立するアメリカとソ連に手を結ばせた。

日本はヨーロッパの支配からアジアを解放しようと戦ったが、

アメリカの開発した原子爆弾(鉄砲)二発の攻撃を受け降伏。連合国の勝利に終わった。

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広島に投下された原子爆弾のキノコ雲

(1945年8月6日 ハロルド・アグニュー撮影)

火縄銃

しかし、日本の意志はアジアからアフリカに広がり、戦後に多くの植民地が独立。

植民地人は解放され、民族自決の精神はようやく全人類に適応されることとなった。

一方、ヨーロッパ諸国は次々に植民地を失い、植民地時代は終わりを迎えた。

栄光を極めた大英帝国(織田信長)もここに滅びた。(本能寺の変)

すべて、フリーメイソンの思惑通りに民族国家、植民地主義が没落した。

ドイツはヨーロッパの一員として、比較的容易に多民族国家になれる素質があったが、

島国である日本においてはその要素が少なく、

戦後アシュケナージ系ユダヤ人により、憲法や法律が作られ、日本人を根本的に大きく変えようとした。

冷戦~米ソ宇宙開発競争~

共産主義者の天下、宇宙への挑戦

第二次大戦の最大の勝者は共産主義者といえる。(豊臣秀吉の天下統一)

アメリカは戦争に勝ち、第一次大戦に引き続き超大国の面子を保ち続けたが、

戦争による利益は殆んど無く多くの戦死者を出しただけだった。

イギリスとフランスも戦争には勝ったが第一次大戦と同じく国土が焼かれ植民地は手放し、かつての力は無くなった。

戦後、ヨーロッパはヨーロッパ統合に向けて歩みだす。

一方、ソビエトはドイツと日本と敵国に挟まれていたものの、

巧みな外交とスパイ活動により日本との戦争を避け、突如攻めてきたドイツにも対処でき戦いに全力を注げた。

ドイツが敗れると急遽、不可侵条約を一方的に破って日本に宣戦、

千島、北方領土を占領して悲願の太平洋への出口を手に入れた。

また、戦争の直接の原因となった世界恐慌にも共産主義国家であるため、まったく影響を受けず国は安定していた。

その後も世界各国のコミンテルンの活躍は中国共産党(伊達政宗)による中国の統一をはじめ、

キューバ革命ベトナム戦争における北ベトナムの勝利と戦後は、まさに共産主義の天下であった。

戦後、ソビエトとアメリカの二大国による冷戦の時代となった。宇宙開発、ロケットの競争でもソビエトの優位が続いた。

ソビエトはドイツからジェット機やロケットの技術を得て初の人工衛星の打ち上げに成功する。

アメリカをはじめとする西側諸国ではスプートニク・ショックが起こった。

そして動物、人類の打ち上げにも成功、核弾頭をつんだICBMの開発にも成功した。

いつしかソビエトは世界でどの国も知らない宇宙の情報を手に入れ、宇宙征服の野望を企てるようになった。

アメリカの月面着陸とソ連の火星探査・ホマリ侵攻

冷戦真っただ中の1969年にアメリカはアポロ計画により、

メディアを巻き込んで人類最初の月面着陸(樺太探索)に成功。

ニール・アームストロング船長(間宮林蔵)が人類で初めて月に上陸し、月面に星条旗を立てた。

Neil Armstrong pose.jpg Mamiya Rinzo.jpg
月に初めて上陸したニール・アームストロング 樺太が島であると確認した間宮林蔵

(明治時代末 松岡映丘作)

宇宙開発で後れを取っていたアメリカがソ連に一矢報いた形であったが

米ソの月を巡る宇宙開発競争は見せかけであり、ソ連はさらに大きな目標を掲げていた。

それは火星を目指す惑星間航行太陽系外の進出である。

サリュート、ミールなど宇宙空間での長期滞在を志向するソ連は

アメリカが地球に最も近い天体である月に拘っている間に

1972年ごろに火星への惑星間航行に成功。(秀吉のスペイン・フィリピン総督への服属要求)

さらに踏み込んで太陽系外に挑戦していた。

太陽系外に数年のうちに航行できる宇宙船は当時の技術では不可能だったが、

第二次世界大戦後ドイツから大量の(ノアの箱舟を含む)宇宙船資料を手に入れたソ連は、

かっての箱舟には遠く及ばないが、

ぎりぎり太陽系に最も近い恒星であるプロキシマ・ケンタウリまで到達できる宇宙船の開発に成功する。

ソ連宇宙軍は80年代にプロキシマ・ケンタウリのホマリ星に二度進出した。(壬申の倭乱、丁酉の倭乱)

ホマリ星探査のため上陸を決行するも、ビスマークの援軍やホマリ人の攻撃により、二度とも失敗に終わる。

ソ連のこれらの宇宙作戦は太陽系進出を目論んでいたリマ星系のペインズ王国へのけん制目的であったが、

結果として作戦は失敗に終わり、経済的損失も計り知れず

アフガン侵攻、チェルノブイリ原発事故と共にソ連崩壊を早まらせる要因となった。

ソビエト宇宙軍のホマリ侵攻

アメリカによる世界制覇

新冷戦とレーガン・ドクトリン

冷戦はベトナム戦争の長期化中ソ対立という国際情勢の変化により、

60年代から70年代にかけて米ソデタントが進み一時休戦状態であったが、

この間にソ連の軍事力はアメリカをも凌ぐものとなっていた。

デタントはソ連のアフガン侵攻で崩壊。

ロナルド・レーガン大統領(徳川家康)はレーガン・ドクトリンを発表。

ソ連と戦うアフガンのイスラム教勢力を支援し、

中南米の共産国に軍事介入、80年代から新冷戦(関ケ原の戦い)が始まった。

アメリカは81年にスペースシャトルを打ち上げ、

日米欧の西側諸国による宇宙ステーション構想フリーダム計画

ミサイル防衛構想のスター・ウォーズ計画(SDI計画)を発表。

宇宙においても対ソ攻勢を強めた。

ソ連は宇宙作戦の失敗から経済的に追い詰められており、

その上G7の結束、チェルノブイリ原発事故が追い打ちをかけ、

ゴルバチョフ書記長による改革路線「ペレストロイカ」が始まった。

90年代に入りベルリンの壁の崩壊ドイツ統一と進み、

レーガン大統領退任直後、ソ連崩壊を迎え、

結果としてレーガン・ドクトリンは冷戦の勝利に多大な影響を及ぼした。

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ロナルド・レーガン 徳川家康(狩野探幽画、大阪城天守閣蔵)

冷戦に勝利したアメリカ合衆国は唯一の超大国になり、事実上世界を支配する。

20世紀はアメリカの世紀と言えるだろう。

ソ連崩壊後、後任であるロシアと関係改善が進み、

フリーダム計画にロシアが加わり国際宇宙ステーション(ISS)に発展した。

フリーメイソンの長年に及ぶ計画はひとつの頂点を迎えた。

しかしながら、第3次世界大戦(核戦争)が回避された一方で

冷戦の終結によるバランスの崩れは民族・宗教の対立を浮き彫りにし、アメリカの一極支配はテロリズムを生んだ。

ポスト冷戦時代の重要な問題は中東問題だった。

イスラエル建国とイスラム勢力の封じ込め

アシュケナージ系ユダヤ人たちのシオニズム運動はナチスの迫害の歴史を乗り越えて、

第二次世界大戦後にパレスチナ地方に建国されたユダヤ人の独立国家イスラエルで成就した。

しかし、パレスチナには長年にわたりイスラム教徒のアラブ人が住んでいて、

立ち退きを余儀なくさたアラブ人はパレスチナ難民となった。

アラブ人とユダヤ人は激しく対立し、

冷戦期に西側諸国が支援するイスラエルと東側諸国が支援するアラブ諸国の間で四回に渡る中東戦争が起きる。

中東戦争はアラブの盟主だったエジプトが単独講和し終結、その後はPLOとのゲリラ戦になるが、

シーア派のイランでイスラム原理主義に基づくイラン・イスラム革命が起き、再び事態は急変する。

革命の飛び火を阻止するため、

アメリカやソ連の支持をうけた隣国のイラク・フセイン政権がイランを攻撃してイラン・イラク戦争が起きる。

これにより、イスラムの結束は乱れ、ユダヤ対イスラムの構図が崩れた。

他方、共産国アフガニスタンはイラン革命に刺激を受けた国内のイスラム教徒の反乱を受け、

ソ連軍の出動を要請、先述のソ連アフガン侵攻となる。

これはソ連崩壊まで続けられることになるが、

この時、アメリカはソ連と戦うムジャーヒディーンタリバンを支援した。

レーガン政権で副大統領を務め、

レーガンの後任となったジョージ・H・W・ブッシュ(パパブッシュ)は

レーガン・ドクトリンを引き継いだが、

アメリカの支援を受けて、軍備を増強させていたイラクが1990年隣国のクウェートに侵攻。

イラン・イラク戦争でイラクを支援したアメリカは

今度はイラクを攻撃して、1991年に湾岸戦争(大坂冬の陣)が起こる。

同じ年にソ連が崩壊。冷戦が終結するが、

アメリカはこの時、イスラムの聖地メッカのあるサウジアラビアに軍隊を駐留させており、

ソ連崩壊後、イスラム諸国は反米化、

アメリカはイスラム諸国やイスラム過激派との戦いを繰り広げる事になる。

奇しくも湾岸戦争を指揮したブッシュ大統領の息子

ジョージ・W・ブッシュ(子ブッシュ)政権の2003年にイラク戦争(大阪夏の陣)が開始され、

ブッシュ家は二度にわたりイラクと対決する事になる。

9・11とテロとの戦い

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ウサマ=ビンラディン(出典:Hamid Mir) 真田信繁(上田市立博物館所蔵)

       

21世紀に入り、

サウジアラビア出身のビンラディン(真田信繁)率いる国際テロ組織アルカイダによるアメリカ同時多発テロが発生。

アルカイダのようなイスラム教過激派は偽装イスラームで、本当はリマ教信者であった。

彼らはフリーメイソンの地球統一に反対していたリマ星の援助を受けていた。

アメリカはテロとの戦いを始め、アルカイダを匿うアフガニスタンを攻撃し、

イラクもテロを支援しているという理由で2003年に再びアメリカがイラクを攻撃し、イラク戦争(大坂夏の陣)が勃発。

イラクは敗北し、フセインは処刑された。

イスラム教徒は歴史的な意味になぞらえて、冷戦後の一連のアメリカのイラク侵攻を第十次十字軍とも呼んでいる。

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イラク戦争 大坂夏の陣(大坂夏の陣図屏風)

                                        

レーガン以降、共和党系のイスラエル系ロビーであるネオコン勢力は

テロとの戦いを謳いながら、イスラム内部の対立を利用しつつ中東に介入し、イスラム勢力の弱体化を狙った。

ソ連崩壊後は積極的に世界各地の紛争に関与して一極支配を進めたが、アフガン戦争、イラク戦争共に泥沼化した。

2008年のリーマンショック以降、2010年アラブの春による中東親米政権崩壊。その後のISILが台頭。

2011年イラク撤退、2013年シリア内戦介入の失敗、2014年ロシアのクリミア併合、

2015年の中国の海洋進出と求心力低下の一途を辿っている。

2021年にはアメリカ軍がアフガンから完全撤退、アフガンでタリバンが返り咲いた事で

約20年に渡るテロとの戦いはアメリカの敗北という結末を迎えた。


レーガン時代と子ブッシュ時代には二度スペースシャトルの事故を起こし、宇宙開発も後退。

完全再使用型ロケットの開発は再び遠のいた。

一方でロシアのソユーズロケットは抜群の安定性を誇り、

シャトルの退役後は国際宇宙ステーションの有人輸送を一挙に担っていたが、

2022年にロシア軍のウクライナ侵攻が始まり、

ロシアは2024年に国際宇宙ステーションから離脱する事を発表した。