天ヶ瀬ダム爆破事件
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天ヶ瀬ダム爆破事件とは宗教団体ホウヲウが起こしたテロ事件。
爆破によりダムが決壊し、下流の宇治市が大きな水害を被った。
概要
京都府宇治市にある天ヶ瀬ダムは
琵琶湖から大阪湾に抜ける淀川水系唯一のダムであり、
相次ぐ水害の対策によって1964年に完成した。
ホウヲウは四神相応による京都の呪術防壁を構築するため
南の朱雀(鳳凰)にあたる巨椋池を復活させる必要があった。
この為、ダムを破壊し意図的に大量の水を下流に流すことによって
低湿地の巨椋池干拓地に巨椋池を復活させた。
また、新京都(富山)にも同じアーチ型で日本最大の黒部ダムがあったため、
黒部ダム爆破の予行であったとも、政府に対する心理作戦であったとも言われている。
あくまで自然災害に見せかけるため、
ホウヲウは早い時から天ヶ瀬ダムの従業員と接触し、
内部から破壊工作を行い、豪雨の日に実行された。
宇治川が氾濫し、下流の宇治市は多くの住居が流され、歴史的建造物も被害を受けた。
実行犯が逮捕され、後の調査によりホウヲウの関与が明るみになり
ホウヲウ、ならびにホウヲウを支持母体とする政治結社朱雀会の弾圧が始まるが、
破壊活動防止法の適応が見送られたため、組織は残された。
ホウヲウは水力からメタンハイトレードへの流れを引き起こし、
北日本の開発、新京都建設を正当化するための政府の自作自演であると訴えた。
その後巨椋池は宇治市側の湖畔に巨大な高層ビル群の開発が進められた。
宇治市の復興事業であり、巨椋池を挟んで北にできた京都市皇国への経済的威圧の意味合いがあった。
京都市皇国の誕生によって京都市から逃れた住民や企業を匿った。