朱雀会

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朱雀会とは官民一体の政治結社。

宗教団体ホウヲウが支持母体となっており、

ホウヲウの実質的な行政組織である。

概要

朱雀会の発端は江戸時代以来の天皇の京都帰還を検討する研究会である。

首都圏大地震とそれに伴う首都移転見当の際に「京都派」と呼ばれ

多くの政治団体や関西の民間企業が入会した。

中でも最大の支援団体が宗教団体ホウヲウだった。

宮中関係者にも支持者が多く、京都市民も天皇帰還に前向きの姿勢であった。


経済再興を優先する「大阪派」や「愛知派」と対立していたが、京都派が最有力候補とみられた。

しかし、メタンハイドレート採掘を巡り北日本の開発を優先させたい政府は

大阪、愛知など既存の大都市や伝統的な京都などの関西ではなく

第三の選択として「新首都計画」、「首都機能分散」を謳って

政治機関の富山移転(新京都)、皇室の長野移転(松代宮城)など北陸の首都移転を決めた。


これに反発したのが朱雀会であり、

それを後押ししたのがホウヲウと京都市民であった。

「大阪派」も取り込んだ抗議行動は国会を紛糾させた。

速やかな首都移転を望む政府も無視できない存在となっていた。

しかし、ホウヲウの天ヶ瀬ダム爆破事件を契機に

団体規制法やホウヲウ規制条例などにより

政府や京都市は関連企業に罰則を与えるなど朱雀会の京都締め出しを図り弾圧を強化した。


朱雀会は一時勢力を弱めるものの

京都市民は朱雀会に同情的で、京都市政に反発する御池通りデモが行われ、

市長選では朱雀会所属の候補が当選した。


朱雀会は京都市の発言権強化の京都維新を基本政策としていたが

京都府と様々な政策論議の中で対立するねじれ構造となり、

小倉宮の京都帰還に伴い政府の皇室利用を防ぐために日本国から独立するという

大阪都構想とは真逆の京都市独立論が巻き起こった。


京都独立住民投票が行われ、賛成が上回ったため

平安神宮での後継体天皇の即位を持って京都市政の廃止と京都市皇国の建国を宣言した。

これに反発する企業や住民が京都市外に移動するなど社会に混乱を巻き起こし、京都市の景気は著しく低下した。

一方で宇治市などの近隣に企業移転が進み、京都府は巨椋池湖畔に巨大な高層ビル群を建設した。