京都市皇国

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京都市皇国とはホウヲウ朱雀会が中核となって建国された宗教国家。

概要

国家元首は南朝正統の小倉宮の末裔を名乗る後継体天皇

バチカン市国をモデル国家とし、「天皇親政」を標榜する。その範囲は平安京と同規模である。

巨椋池の復活により完全なる呪術防壁を作り、機甲神器を確保し、これにより東西南北の守とする方針だった。

皇室(東朝)に対して西朝とも呼ばれる。

8年間国家運営されたが、京都の乱によって京都市皇国が崩壊。後継体天皇の退位によって京都府に吸収された。

歴史

関東首都圏を襲った震災とその後の首都機能移転問題において

古くからの文化圏であった京都は首都移転の有力候補とみられ、京都市民も天皇の帰還を熱望していた。

この運動を先導していたのが宗教団体ホウヲウであり、京都派の官民一体の組織「朱雀会」が結成された。

彼らの運動は過激性を帯びており、ユダヤにおけるシオニズムになぞらえ「平安イズム」と揶揄された。


天ヶ瀬ダム爆破事件を期に政府と京都市は朱雀会をテロリスト組織と認識し

政治運動を規制する条例を作るなど弾圧に乗り出したが、

これに不満を持った市民が条例の撤回を求めて大規模なデモ運動を展開。(御池通りデモ


京都市長選に朱雀会代表が当選し、小倉宮の帰還に伴い「京都独立住民投票」が行われ賛成多数により京都市政が廃止され、

10月22日に平安神宮にて後継体天皇の即位とともに京都市皇国の建国が宣言された。


建国に至る動乱は同地で戦国時代に起こった山城国一揆にちなんで第二次山城一揆と呼ばれる。

京都市皇国側は京都維新と呼んだ。