小椋文献
小椋文献とは神代文字(ヲシテ文字)で書かれた古史古伝である。
巨大古墳に眠る機甲神器の存在と宇宙人の侵略の予言が書かれている。
概要
成立は4世紀前半で記紀より古い。
古墳に眠る「機甲神器」という巨大な遺物の存在が記されており
将来起こる宇宙人(天上人)侵略に対する決戦兵器であるとされている。
日本武尊は制圧した日本各地でダイダラボッチ(恐人ディダラ)の遺構から機甲神器を作り国の守りとした。
機甲神器の周辺に巨大な古墳が作られ、存在が隠匿された。
仏教伝来を前に国政の混乱を感じた日本武尊はこの事を後世に残すべく文献を作った。
飛鳥時代、仏教派の蘇我氏が神道派の物部氏を倒した時に
他のヲシテ文献と共に焚書されかけたが、文献の重要性を見た聖徳太子の命によって保護された。
平安時代の写本が藤原氏によって京都の小椋神社に密かに保管された。
歴代の幕府や明治政府によって秘密は守られ、
第二次大戦末期に大本営は機甲神器を本土決戦の最終兵器と捉え実勢配備を検討するが、
ソドムとゴモラの再来を懸念した昭和天皇の裁可が下りず取りやめとなる。
情報を入手したGHQは戦後に巨大古墳の調査を行ったとされる。
京都市南部に豪雨が遅い小椋神社が一部損壊、文献が流出し、
これが考古学者の手に渡り文献の存在は公にされた。
新興宗教団体ホウヲウはこれを神典とした。
ホウヲウは神国防衛のため機甲神器を確保し天皇を東京から取り戻し京都に天皇親政の新国家を作ろうと試みた。
政府はホウヲウをカルトと認定。
学会は文献を偽書とし、宮内庁の古墳管理はさらに厳重となった。
しかし、以後この小椋文書の予言が的中するとホウヲウの入信者が増加した。
政府はホウヲウの徹底的な弾圧(ホウヲウ戦争)に乗り出す。さながら大本事件の再現であった。