「シベリア革命」の版間の差分

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米中にとっては安全保障上の重大な脅威であり、協力してロシアからシベリアを切り離した。
米中にとっては安全保障上の重大な脅威であり、協力してロシアからシベリアを切り離した。


=== アメリカの仲介による停戦とシベリア開発 ===
=== 停戦とシベリア開発 ===
2164年、[[第五次中東戦争]]が勃発、ヨーロッパで火種がくすぶる中、
2164年、[[第五次中東戦争]]が勃発、ヨーロッパで火種がくすぶる中、


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'''北方領土の返還'''を条件にシベリア開発への援助を求めた。
'''北方領土の返還'''を条件にシベリア開発への援助を求めた。


=== アメリカ介入と内戦の再開 ===
=== 内戦再開とシベリア戦争 ===
キング・ハリド基地の降伏など中東で劣勢となった連合国は  
キング・ハリド基地の降伏など中東で劣勢となった連合国は  


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=== 米露講和決裂 ===
=== 米露講和決裂 ===
ロシア内戦の当初、連合国の圧倒的支援を受けたシベリア共和国が優勢であり、
連合国の圧倒的支援を受けたシベリア共和国がロシア軍を圧倒。


ノヴォシビルスクや地下資源豊富なヤマル半島を含むチュメニ州にまで西進したが、
ノヴォシビルスクや地下資源豊富なヤマル半島を含むチュメニ州にまで西進したが、
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<u>ロシア内戦終結と中立条約締結</u>に向けて交渉を開始していた。
<u>ロシア内戦終結と中立条約締結</u>に向けて交渉を開始していた。


アメリカはサハリン(樺太)、クリル諸島(千島列島)を取り戻す大義があるとして'''対日参戦'''を要求、
アメリカはサハリン(樺太)、クリル諸島(千島列島)を取り戻す大義があるとして、ロシアに対し'''対日参戦'''を要請、


ロシア見返りとしてシベリアの返還に加え'''ビーム兵器の技術提供'''を要求していた。
ロシアは見返りとしてシベリアの返還に加え'''ビーム兵器の技術提供'''を要求していた。





2026年1月17日 (土) 00:04時点における最新版

シベリア革命とは2162年にロシア連邦からシベリア地域が分離独立し、

2163年にシベリア共和国を建国宣言した革命。

革命により開戦したロシア内戦、2166年からの革命の介入戦争(シベリア戦争)も同項で扱う。

参戦国

連合国

同盟国

概要

シベリア共和国の誕生

環太平洋同盟において独自の立場を持つロシアが

ファシンテルンやトルコ正教会の仲介によるカトリックとロシア正教の和解により

EUとの単独講和の動きがあることをCIAが察知しておりこの妨害工作が水面下で行われていた。


中国は2162年、モンゴル人特殊部隊をトゥヴァ共和国やハカス共和国などの中央シベリア地域に送り込み、

アジア系民族独立派を支援し各都市で大規模なクーデターを決行し、ロシア内戦が勃発。

中国の支援を受けた革命軍はトゥバ共和国やハカス共和国など瞬く間に占領し、

クラスノヤルスク地方に北上し北極海に到達した。

革命軍はロシアを東西に分断する事に成功するが、

西方からのロシア軍の逆襲に備え、兵力を西部戦線に固める中で

ウラジオストクを擁する沿海州やサハ共和国を始め東部戦線ではロシア軍の頑強な抵抗に遭い苦戦が続いた。

北極海航路とシベリア革命

2163年イルクーツクを占領、ここを首都:シネ・カラコルムと改名しシベリア共和国を建国宣言。中国が国家承認。

ロシアは環太平洋連合を脱退。中露関係は急激に悪化した。


この革命の背景には北極海航路を巡る各国の思惑がある。

地球温暖化により、北極の海氷が少なくなったため

船舶の通過する航路として北極圏は重要な戦略的エリアとみなされるようになった。

しかし北極海に最も長い国境を接し、

航路の発展により最も多くの利益を受けるであろうロシアが連合を脱退することは

米中にとっては安全保障上の重大な脅威であり、協力してロシアからシベリアを切り離した。

停戦とシベリア開発

2164年、第五次中東戦争が勃発、ヨーロッパで火種がくすぶる中、

ロシアはアメリカの仲介で革命軍との戦闘を一時停止する。

西ロシアと東ロシアは飛び地となり、

ロシア大統領を支える首相は西ロシアと東ロシアそれぞれから選出された。

2166年の内戦再開までの期間、

中国はシベリア共和国に莫大な投資を行い、北極海沿岸の都市の開発を進め、経済発展した。

西ロシアは中東で勝利を収めた南北同盟に接近しつつ、アメリカとの繫がりも維持する等距離外交を行い、

東ロシアはシベリア共和国に対抗して日本との関係を強化し、

北方領土の返還を条件にシベリア開発への援助を求めた。

内戦再開とシベリア戦争

キング・ハリド基地の降伏など中東で劣勢となった連合国は

シベリアの完全掌握を目論み、中国はアメリカに共同参戦を要請。

東経150°以東の東シベリアをアメリカに割譲することを条件に北米連合が参戦を約束。

シベリア共和国は東ロシアが停戦違反を犯したとして突如として東ロシア領内に攻め入り、中国軍も加勢した。

そして、後方からアメリカが襲い掛かった。(シベリア戦争)

こうして2166年、東ロシアが崩壊、シベリア共和国はシベリア全土を治め、

中国はアムール川以南の太平洋に面する沿海州を黒竜江省に編入し、

アメリカは中国との密約通り東シベリアをアラスカ州に編入した。


東アジア連合(中国)は北極海に面する広大なシベリア地域を勢力下とし、

北米連合(アメリカ)は独立グリーンランドに続き、

アラスカの対岸の極東シベリアを得て、北西航路を完全に手中に収めた。

ベーリング海峡は米中が共同管理する事となり、

他国の通行を事実上禁止し、北極海航路の利益を独占しようとした。


中国はシベリア共和国を東アジア連合に参入させ「大中華連合」に拡大発展した。

アメリカの革命介入によってシベリア停戦は崩壊し、

ロシアは即座に南北同盟と不可侵条約を結び、大中華連合に宣戦布告した。

日本の介入

一方、シベリア革命に直接関与していない日本はロシア内戦の再開を受け、

ロシアとの係争地であった北方四島を含む

ロシア・サハリン州に属される千島列島全域と樺太を占領した。

東ロシアとの間で日露平和条約が結ばれており、北方四島については日本に返還される予定であったが

樺太、千島列島も革命が沈静化するまでの保証占領であるとした。

現地で小規模な戦いが行われたが間もなく全域が日本の支配下に下った。

日本の積極的な行動の背景には シベリア革命によってロシアとの長くにわたる交渉の末得た北方領土返還という

念願の合意が反故にされるという疑念と北極海航路への参入の狙いがあった。


中国にとっては太平洋の出口がふさがれる形となり、

北極海航路整備において障害となることが予想された。

中国は日本が撤退するまでシベリア革命は完了しないと即時撤退を要求。

中国は沿海州の対岸にある樺太を北緯50°で分け

北樺太および千島列島をシベリア共和国、 南樺太は沿海州同様に中国黒竜江省に編入する計画であり、

宗谷海峡を挟んで隣接する北海道を北極海航路の拠点として影響下に置く魂胆であった。


日本は中国の沿海州領有に警戒感を抱き、樺太の中国領有は認められないと声明を出した。

日本は樺太と千島を北緯50度に分けて、

北樺太及び阿頼度島・占守島・幌筵島・志林規島など北千島をシベリア共和国領、

南樺太及び北方4島を含む南千島を日本領とし、

中国の沿海州領有を認め間宮海峡を日中境界線とする案を示した。

中国は樺太は中国固有の領土であると主張、意見が真っ向からぶつかった。

アメリカが紛争の仲裁に入り、

北方四島を含む北緯50°以南の南千島を日本領、北千島をシベリア共和国領とし、

樺太は米・中・日・シベリアの4カ国で共同管理し中立化させる仲裁案を提示し、

日本は受け入れる姿勢を示したものの

中国は北方四島の帰属はシベリア共和国が決めるとして

北方四島の日本帰属さえ公式に認めることはなかった。

非公式に台湾問題に日本が介入しないことを条件に

北方四島の領有を認める妥協案もあったが、日台同盟により立ち消えとなった。

この日本の介入問題は東アジア連合の分裂、東アジア戦争の原因となる。

米露講和決裂

連合国の圧倒的支援を受けたシベリア共和国がロシア軍を圧倒。

ノヴォシビルスクや地下資源豊富なヤマル半島を含むチュメニ州にまで西進したが、

東アジア戦争の開戦で日本のシベリア大陸介入を招き、

日本軍のシベリア出兵、ベーリングルートの遮断により

北米連合の支援を受けられなくなったシベリア共和国は次第に弱体化する。

またロシアの縦深攻撃が始まり、

東アジア戦争における大中華連合の崩壊後、国土の大半がロシア軍に占領されると

シベリア共和国はアラスカ州東シベリアに亡命政府の拠点を移す。


東アジア戦争後に極東同盟が対米参戦してくることは必至として、

北米連合は攻撃衛星ロンギヌスによるシドニー照射によってオーストラリア太平洋艦隊を壊滅させる。

これにより第二次太平洋戦争が始まるが、ロシアにはシドニー照射を事前通知しており、

ロシア領内にはビーム照射を行わないことを条件に

東シベリア返還シベリア共和国首脳部の処遇を議題に

ロシア内戦終結と中立条約締結に向けて交渉を開始していた。

アメリカはサハリン(樺太)、クリル諸島(千島列島)を取り戻す大義があるとして、ロシアに対し対日参戦を要請、

ロシアは見返りとしてシベリアの返還に加えビーム兵器の技術提供を要求していた。


一方の日本はこれよりも早くにシベリアでロシアと接触しており、

シベリア共和国に対する共同戦線が形成されていた。

日本軍のシベリア撤退を含むロシア内戦の処理

東シベリア奪還のために対米共同参戦することなどが話し合われていたが、

日本が占領したサハリン返還を巡って折り合いがつかない状態であった。

結局、対米戦へは日本が単独で行い継続交渉となっていた。


米露交渉の期間、東シベリア国境を目前にしたロシア軍の進出は一時止まっており、

日本は背後からのロシアの攻撃を警戒せねばならず、沿海州に駐在する日本軍の緊張は続いたが、

攻撃衛星が月共和国軍により破壊されたため、

ロシアは一方的に北米連合との交渉を打ち切り、

日本(極東同盟)と共に武力によってシベリアを取り戻し、

さらには米本土に進出してアラスカの実効支配を目論む方向にシフトした。

日本はロシアの対米参戦により大陸から撤退を始め、

潜水艦の技術提供や海上共同作戦など海からロシアの東シベリア奪還を支援した。

樺太千島などの島嶼部の領有権問題はひとまず棚上げされた。

アメリカの降伏により、シベリア共和国はロシアに降伏。

ロシア内戦はロシアの勝利に終わり、シベリア共和国は崩壊、同地域は再びロシア連邦に取り込まれた。

結果

シベリア革命から始まったロシア内戦の結果、

ロシア連邦はシベリア地域を取り戻したが、日本が保証占領した領土の帰属はアメリカ降伏まで棚上げされた。

ロシア国内ではシベリア革命における日本の侵略行為を

平和条約違反であるとして糾弾する意見もあった。

東アジア戦争におけるシベリア出兵のため、

日本の勢力は太平洋沿岸の沿海州からさらにイルクーツクに向けて内陸に伸びている状況であり、

シベリア共和国に対する日露共同戦線が張られていたが、一部では小競り合いも起きていた。

実際、この日露の懸案を狙って北米連合は東シベリアを平和的に返還し、

ロシアに対日参戦させるように焚きつけようとした。


しかし、北米連合がその影響力の根幹とした衛星兵器が破壊されたこともあり、

ロシアは北米連合との交渉を打ち切って、日本と協力し東シベリア・アラスカに進攻した。

ロシアは事前の平和条約の履行を求め、

シベリア革命における賠償を盾に北方四島を除く全地域の返還を日本に要求する構えであったが、

戦後、ロシアはアラスカ州領有に拘りを見せたため、

日本がシベリア共和国との境界として示していた北緯50度線に沿った分割案を了承した。

こうして北樺太及び北千島がロシアに返還され、

南樺太及び南千島を日本領とする新たな国境が確定した。

同時に北極海航路におけるベーリング海峡や宗谷海峡の安全通行を確認する日露ベーリング海条約が結ばれた。


ロシアは第二次太平洋戦争において当初アメリカと中立条約締結に向けて交渉しており、

衛星兵器のシドニー照射という重大情報を知りながら同盟国に知らせなかった事、

またこうした外交戦略のため対米参戦が遅れたことから

同盟国は「アメリカ降伏において貢献度が低い」とロシアのアラスカ統治に否定的だった。

しかし日露の密約でハワイ州の事実上の日本併合を認める事で日本の支持を取り付け

1867年にアメリカ合衆国に売却したロシア領アメリカが303年ぶりに復活する事になった。

赤…環太平洋連合 青…南北同盟+極東同盟 緑…中立国