第二次太平洋戦争

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第二次太平洋戦争とは第三次世界大戦中の2168年から2169年にかけて極東同盟と北米連合で戦われた戦争。

20世紀に起きた日米戦争(太平洋戦争)の再来であることからこの名称で呼ばれる。

参戦国

連合国

同盟国

概要

攻撃衛星ロンギヌス

大中華連合の降伏により南北同盟に続き極東同盟の対米参戦を避けられないと見た

北米連合は国連宇宙軍の攻撃衛星ロンギヌス

オーストラリアのシドニーに照射し、オーストラリア太平洋艦隊を壊滅させた。

北米連合は続けて東京への照射を示唆した。


一方、ロシアには事前にシドニー攻撃を通知しており、

ロシア領ではビーム照射を行わないことを条件に 東シベリア返還やシベリア共和国首脳部の処遇を議題に

ロシア内戦終結と中立条約締結に向けて交渉を開始していた。

この間、ロシア内戦の戦線も東シベリア国境線を目前に停止した。

南北同盟および極東同盟の同盟軍とは一線を画すロシアを懐柔して、

アメリカ包囲網の一角を崩す戦略であった。


北米連合は衛星兵器による恐怖政治により、

劣勢に立たされる今次大戦の体勢を立て直す魂胆であったが、

これは被爆地である長崎を本拠地としていた団結党政権である日本を刺激し、

「リメンバー・シドニー」を合言葉にかえって日本とANZAC地域の絆を強固にした。

脅しによる早期講和の狙いとは裏腹に極東同盟は対米宣戦、第二次太平洋戦争が起こる。

世界はアメリカの暴走に危機感を募らせるが、月共和国によって衛星破壊に成功する。

北米連合はシドニー攻撃後、 南太平洋に艦隊を展開、ニューギニアに上陸し日豪分断作戦を図った。

ハワイ上陸

北米連合軍はニュージーランドに上陸、地上戦が展開される中、

ロシアは日本と協力して北方作戦を展開。

東シベリア攻略のためアリューシャン列島に進出。

ダッチハーバーを襲撃、その後アラスカ州沿岸を南下した。

当初、太平洋での戦いを静観していたロシアだったが、

攻撃衛星破壊によって懸念材料が消失したロシアは北米連合との交渉を打ち切って、同盟国陣営として参戦した。


北米連合は同盟軍が強力なハワイを避けて本土上陸を試みていると察知し

戦力を北方に移動させるが、

陽動作戦であり、その隙に潜水艦を中心とする本隊がハワイ上陸に成功する。

潜水艦艦隊は海中深くに潜伏し、シドニー照射を生き延びていた。

バンクーバー条約

ハワイを占領した極東同盟軍は北太平洋の制海権と制空権を確保し、

西海岸への攻撃を継続的に行えるようになった。

この危機感はアメリカ合衆国よりもカナダに亡命したイギリス政府の方が大きかった。

イギリス亡命政府は西海岸のバンクーバーを拠点としていたからである。

極東同盟軍はイギリス王室の避難先となっていたハトレー城のあるバンクーバー島を避けつつ

対岸のバンクーバーやアメリカのシアトルを空襲した。

上陸を避けられないと見たイギリス亡命政府は内陸のコロラドスプリングスに拠点を移す計画であったが

バンクーバー島のイギリス王室は逃避行を拒否し、

ロシアが南下する前に長年の交流がある日本皇室を通して独自に極東同盟と和平交渉を求めた。

天皇を頂く日本、そして日本と同盟を結んでいるANZAC諸国も旧イギリス連邦であり、

ロシアに比べて極東同盟はイギリス王朝の存続に対して寛容な姿勢だった。

イギリス亡命政府は衛星攻撃を非難し、王室に従って極東同盟との講和を望む王室派と

カナダ政府と共に徹底抗戦を続けるカナダ派に分裂した。


極東同盟とイギリス亡命政府王室派はバンクーバー島で会談。

結ばれたバンクーバー条約により、戦後イギリス王は地球準皇族に向かい入れられ、

バンクーバー島はイギリス王朝領として領有が認められた。

この交渉によりイギリスは戦後敗戦国ながらも宇宙警備隊など一定の影響力を維持することになる。

パナマ運河攻撃

ハワイを占領、バンクーバー島のイギリス亡命政府との講和に成功し

北太平洋を勢力下に置いた極東同盟軍だが、

西海岸には強固な要塞が築かれ、北米大陸上陸は困難を極めており、

ニュージーランドを占領しオーストラリア上陸を試みるなど

南太平洋では依然北米連合軍が活発に活動していた。

北米連合を追い込むには大西洋と太平洋を繋ぐパナマ運河の封鎖が必至だった。


大西洋戦争で南北同盟軍がバミューダ上陸に成功すると

極東同盟軍はパナマ運河を襲撃を実施し、

アメリカの海軍力を東西に分断、ANZACはニュージーランド奪還作戦を行い、

南北同盟の東海岸に続き、極東同盟も西海岸に上陸を果たす。

その後戦いはアメリカ本土戦(アメリカ内戦)に移る。

背景

東アジア戦争での大中華連合の敗北によって同盟国不在となった。

北米連合は早急に体勢を立て直す必要があった。

そこで目に付けたのが同盟軍とは一線を画すロシアであった。

北米連合はシベリア革命によって併合した東シベリアをロシアに返還し

逆に樺太や千島を実効支配し続ける日本および極東同盟への敵愾心を煽ろうとした。

ロシアと日本(島嶼連合)は大中華連合(シベリア共和国)が共通の敵国であったが、

日本のシベリア革命介入と樺太千島の領有権を巡り対立点もあり、シベリアでは小競り合いも起きていた。


ロシアは第三次世界大戦当初、ロシア内戦を優先させ、

EUおよび南北同盟と協力し、

目前の敵であるシベリア共和国および大中華連合を主敵として戦っていたが、

大中華連合の崩壊によって、シベリア共和国という緩衝地帯を失うと

ロシアの勢力範囲はアメリカ(アラスカ州東シベリア)や日本(樺太、千島)に接するようになり、

国際関係の変化は差し迫った問題だった。

北米連合は太平洋を分割して米ソ2大国時代を再現しようとロシアを誘った。

ANZACなどの南太平洋戦域を北米連合担当、

日本などの北太平洋戦域をロシア担当とする計画であり、

衛星兵器の照射地にシドニーが選ばれたのもこのためであった。

しかし、ロシアがこの交渉の席に着いたのは衛星兵器による圧力のためであり、

衛星兵器が破壊されれば政治的に劣勢な北米連合に従う義理はなかった。

結果

衛星兵器の攻撃で始まったこの戦争は結果的に

国内外で多くの批判を集めアメリカ内戦を引き起こす決定的な出来事となった。

また対米戦にロシアや日本の参戦を呼び起こし、

戦後、アラスカ州やハワイ州が米本土と切り離され、国土が分割されることになった。