アメリカ連合国

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アメリカ連合国とはアメリカ内戦(第二次南北戦争)中に自由アメリカ軍(南軍)によって作られた政治組織。アメリカ合衆国の後継政府。

アメリカ連合国は便宜的な国名で第三次世界大戦後の2170年に地球連合により国家承認されたが、

2180年の主権回復と同時に行われた国家主義の廃止により、正式な国名や国旗国章の類はない。

概要

大西洋戦争で自由アメリカは積極的に南北同盟に協力したため

戦後、北米連合の構成国であったカナダとメキシコが

地球連合の北アメリカ再開発団(占領軍)による直接統治を受ける一方で

アメリカ連合国はアメリカ合衆国に代わるアメリカにおける唯一の中央政権として認められ、

アラスカやハワイなどの飛び地や海外領土属領を除き米本土では一定の政治権を維持した。

南北同盟とは戦後も政治経済や安全保障で強い結びつきを持ち、実質的な南北同盟の傀儡とも言われる。

占領期に起こったEU管轄の北部州とAU管轄の南部州の確執(大西洋三角問題)、その後のアフリカ戦争

その間に影響力を拡大した島嶼連合管轄の西海岸からの東部開発などの

政治的な内乱を経て2180年に全占領軍の撤退、主権回復を経て国家主義の廃止を宣言した。

分断されたアメリカ

第三次世界大戦後の北米大陸分割。青=EU、赤=AU、橙=IU、緑=ANZAC、紫=ロシア、黄=イギリス王室領アメリカ

占領下の南北対立とアフリカ戦争

2170年に地球連合が誕生し、5大国(国閥)による北米再開発事業が始まったが、

そもそもアメリカ連合国が南北同盟と同盟関係にあったことに加え、

EUが直接統治するカナダのモントリオールに本部が置かれた北米再開発団は事実上、EUの傀儡であった。

ロシアと島嶼連合はアラスカ占領、西海岸三州占領の保全のために共にアメリカ連合国の傀儡化を黙認したが

AUとANZACは中立化を強く訴えた。


特にAUは連合国(南軍)の発祥とされる南部州統治を管轄し、

再開発のため連合国中最大の移民団を派遣していたが、それを狙ったテロ事件も多発していた。

南北同盟は地球連合成立と引き換えに解消されていたが、その後EU閥とAU閥の対立が先鋭化した。

2173年のホマリ開国論争においてバージル・ウェストモーランド将軍などの複数のAU関係者が政権中央から身を引いた。


こうした状況下で地球連合は

アメリカ連合国からの全占領軍(旧軍、国軍)の撤退と新たに保安軍(新軍)の派遣を決定する。

保安軍はAU閥であったためAU首脳部は占領軍の組織改革に前向きであったが

これに反発した旧AU軍の一部はウェストモーランド将軍を筆頭とする反乱軍を結成し、

2174年、地球連合に対して宣戦布告しアフリカ戦争が勃発する。

AUの首脳部は反乱に同調せず、宇宙軍星軍のアフリカ派遣を要請し鎮圧に働いたため、

アメリカ連合国施政下では南北戦争が再発することは無かったが、緊張状態が続き治安が著しく悪化した。

西海岸とハワイ

アメリカ連合国は占領軍によってアメリカ合衆国の正式な後継国家と認められたが、

例外的に西海岸3州のみが日本の直接統治となり、本土分断により国境を接する西部では様々な問題が起きた。

極東同盟軍はシャイアンマウンテン陥落後に合衆国と講和し、西海岸の駐留に合意していた。

カナダを統治するEUの東北エリア、メキシコ東部を統治するAUの東南エリアなど

州レベルでの北米大陸の占領軍の内政干渉は行われていたが、

自由アメリカ(連合軍)と共に戦った南北同盟とは違い、

第二次太平洋戦争極東同盟とは共同作戦が行われる事はなかったため

連合国にとって西海岸は極めて影響力の弱いエリアとなった。


島嶼連合は西海岸三州におけるアメリカ連合国の潜在的主権を認めてはいたが、

もともと西部ではアメリカ内戦の影響が少なく、旧合衆国勢力の影響が色濃く残っていたため、

大西洋三角問題やアフリカ戦争で表面化したEUとAUの対立によって北米統治が混乱する中、

西海岸3州(ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州)に接する

ネバダ州、アイダホ州、ユタ州、コロラド州、アリゾナ州、ニューメキシコ州における

極東同盟(および旧合衆国)の影響力の波及は西部開拓をもじって東部開拓とも呼ばれ、

連合国とは特殊な緊張関係にあり、「南北戦争が終わり東西戦争が始まる」とも言われた。(イエローゾーン)


一方で大陸中央に位置するネブラスカ州、サウスダコタ州、ノースダコタ州、

モンタナ州、ワイオミング州、カンザス州はどの占領軍の影響下にも置かれなかったことで、

「誇りあるアメリカ」と呼ばれたが、

奇しくもこのエリアはインディアンが独立宣言したラコタ共和国に属するエリアだった。

日本の施政下にあった3州ではインディアン優遇政策を推し進め

これらの地域への関心を示した。

国際世論の批判もあり、カナダやメキシコから占領軍が引き上げるタイミングで

西海岸3州もアメリカ連合国に返還されたが、ハワイ州は独立して日本の保護国となった。

アラスカとバンクーバー島

ロシアはアラスカ州を統治したが、EUによるカナダ全域占領に難色を示したため、

アラスカ州に接するブリティッシュコロンビア州と

ユーコン準州の2州を非武装地域として共同管理する事となった。

後にロシアはアフリカ戦争の混乱の最中に傀儡政権であるアラスカ共和国を建国しロシア連邦に編入したが、

非武装地帯の設置はアラスカ併合におけるEU介入のけん制であったとされる。

カナダのブリティッシュコロンビア州に属していたバンクーバー島

日本(島嶼連合)とイギリス亡命政権の間で結ばれたバンクーバー条約に基づいて

イギリス王室領としてカナダ本土とは独立した行政組織として自治権が与えられたが、

その背景にはロシアの北米大陸南下に日本の保護で対抗しようというイギリス王室の思惑があった。

国家主義の廃止と地球主義

連合国は内戦中は南軍のレベルフラッグを掲げて戦ったものの

2180年の主権回復後、連合国は国旗国歌を制定せず、地球連合の加盟と共に国家主義の廃止を宣言した。


国家主義の廃止に至っては占領下における5大国の内政干渉や権力争いに端を発する。

カナダを直接統治したEUは統治下のモントリオールに北米再開発団を置いて

間接統治の形式でアメリカ連合国をその指揮下に置いた。

一方で東メキシコを直接統治し連合軍の拠点であった南部州に影響力を持ったAUは

北米統治において限定的な影響力しか持たず、連合国のEU傀儡化に危機感を持っていた。

その一部はバージル・ウェストモーランド将軍を中心とした反乱軍に参加し、火星・アフリカ戦争に発展する。

またEUとAUの対立やアフリカ戦争を横目に西海岸を統治する島嶼連合やアラスカを占領するロシアがアメリカ国内において勢力拡大を図った。

反乱に加担せず、地球連合に残留した穏健派は地球主義を標榜し、2180年の主権回復後に国家主義の廃止を宣言した。


またアメリカ大陸の非武装化が求められたため

一般国民の銃規制が進み、軍事組織としての自由アメリカも解体させられることになった。

兵器類も破棄処分が進められたが、

アメリカには破棄が追い付かないほどの大量の軍事資産が残されたため

こうした軍事資産を地球連合下で管理する必要が生まれ、

自由アメリカはアメリカではなく地球全体を守る地球連合宇宙軍の常設軍として再編されることになった。

その後、連合国は地球連合で国閥を批判し、自由民権運動をけん引する事になる。