アメリカ内戦

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アメリカ内戦(第二次南北戦争)は第三次世界大戦中に起きたアメリカの内戦。

アメリカ合衆国(北軍)と自由アメリカ(南軍、反乱軍)の戦い。

その後、同盟軍の介入により第三次世界大戦の最終局面であるアメリカ本土戦に発展する。

参戦国

連合国

同盟国

概要

第三次世界大戦はアメリカ国内で国論を二分する議論となった。

徹底抗戦を進め先制核使用まで訴える主流派に対して

アメリカ本土攻撃を危惧し南北同盟と和睦を求める声もあった。

国内ではキリスト教原理主義団体主導の反戦運動と同時に

来るべき本土戦に備え独自に市民が武装し民兵が多数作られた。


民兵のほとんどは合衆国に忠誠を誓っていたが、

同盟国であった大中華連合東アジア戦争に敗北し、

戦局がアメリカに不利になると合衆国への疑念の声が広がり始めた。

特に攻撃衛星ロンギヌスのシドニー攻撃は政府に対する見方を変える決定的な出来事となった。


反戦運動は次第に反政府運動へと変貌し民兵と繋がった。

FBIは市民軍が南北同盟軍と内通しているとしてブラックパージを行い政府に反対する者を迫害し、

政府は銃規制を強め民兵は解散を命じられた。

これに対しアメリカ国民の自由を守るために

南部州を中心とする民兵が結集し自由アメリカ軍を結成。

自由アメリカをテロリストとする合衆国と

合衆国離脱を表明した自由アメリカ連合軍との間で南北戦争以来の大規模な内戦になった。

自由アメリカは合衆国の星条旗に代わる象徴として

南北戦争で南軍が掲げたレベル・フラッグを使用した。

アメリカ本土戦

自由アメリカは大西洋戦争後半の南北同盟軍の作戦に参加しバミューダ島上陸に協力した。

南北同盟は自由アメリカ軍の手引きにより東海岸(フロリダ)に上陸。

アメリカ本土戦が始まった。

フロリダ半島から自由アメリカ・南北同盟連合軍が北上し、

北からもハリファックス上陸後、ポーツマスを経由して南下を始めた。

ニューヨークで激しい戦いが行われ、

世界史上長きに渡って攻撃を受けることが少なかったアメリカ大陸の大都市は崩壊し、

多数のアメリカ国民に被害がおよんだ。


西海岸にも極東同盟軍が上陸。

ロサンゼルスからラスベガスを占領しロッキー山脈に迫った。

内戦の影響は東部だけであり西部では大きな混乱は起こらず

第二次太平洋戦争では極東同盟と自由アメリカの共同作戦が行われる事はなかった。

北米連合はこの時点で講話を持ちかけ、

西部戦線の極東同盟は北米連合本部のあるシャイアンマウンテンを攻略した後にこれに応じたが

自由アメリカが強硬に無条件降伏を迫ったため東部戦線は継戦された。


北米連合は民間人に混じってテロを断続的に行った。

2169年、ワシントンのペンタゴンで最終決戦(ペンタゴン攻防戦)が行われ

米国防総省が崩壊したことによって内戦終結。

東シベリアを領有していたアラスカ州はシベリア共和国亡命政府と共にロシア戦を戦い続けたが、

合衆国の敗北により、降伏した。

結果

アメリカ内戦は自由アメリカの勝利となったが、

それは同時に第三次世界大戦のアメリカ敗戦を意味し

アメリカ(北米連合)の世界支配は崩壊し超大国の地位を失った。

旧勢力は一風され地球統一政府(地球連合)は南北同盟と極東同盟が中心になって始動し出した。

第三次世界大戦後の北米大陸分割。青=EU、赤=AU、橙=IU、緑=ANZAC、紫=ロシア、黄=イギリス王室領アメリカ


戦後、西海岸の3州を除くアメリカ本土の45州は地球連合北アメリカ再開発団管理の元、

アメリカ自由連合が主体となり再開発を進めることになるが、

合衆国の首都であったワシントンDC(コロンビア特別区)は

EU、AU、日本(島嶼連合)、オーストラリア(ANZAC)、ロシアで共同管理され、

カナダはEU、メキシコ東部およびプエルトリコなどカリブ海地域はAU、

アラスカ州はロシア、西海岸3州およびハワイ、グアムなど北太平洋は日本、

メキシコ西部およびサモアなど南太平洋はANZAC諸国によって分割統治される事になった。


占領期間は10年に渡り、2180年講和条約により北米連合3カ国の主権は回復、

EU統治のカナダやAUとANZACが分割統治したメキシコ、

島嶼連合統治の西海岸3州から同盟軍が引き上げたが、

アラスカ州は委任統治中にアラスカ共和国を建国し、ロシア連邦に併合、

ハワイ州は本土と切り離され日本の保護国となった。

プエルトリコやグアム、サモアなどの未編入地はAUや日本、ANZACの領土に組み込まれた。

背景

南部州は伝統的に銃文化があったが、北部州は銃規制を強行しようとした。

そもそもアメリカは建国以来、自己武装の伝統があった。

国家が暴走した時に市民が反乱できる仕組みがあった。

国家総力戦においてこの構造は極めて政府にとって不利だった。

過去二度の大戦では情報統制が容易であったのに対し

今次では市民側が自由に情報を取得することが可能となっていた。


アメリカの数々の暴挙を見てきたアメリカ国民には政府への失望が大きかった。

特に第3次世界大戦は核戦争への恐怖が語られたこともあり

反戦運動がこれまでよりも激しいものとなった。

南北戦争では奴隷制度をめぐり内戦が行われたが

第二次南北戦争とも称されるアメリカ内戦では銃規制をめぐり争われたとも言える。


また、アメリカの世界戦略が

エキュメニカル運動を展開する同盟国をカトリック・ファシズムと呼び、

他宗派の反抗を促す「宗教のブロック化」であったのに対し

国内ではキリスト教原理主義を抑えることができなかったとされる。