「東アジア戦争」の版間の差分

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中国は北方四島さえ帰属はシベリア共和国が決めると強硬な姿勢を崩さなかった。
中国は北方四島さえ帰属はシベリア共和国が決めると強硬な姿勢を崩さなかった。


日本はシベリア共和国を承認して中国と共同歩調を取るべきとする''北派''と


台湾やフィリピンなどの太平洋の島嶼国と組んで独自の経済圏を築くべきとする''南派''に分かれた。
日本はシベリア共和国を承認して中国と共同歩調を取るべきとする北派と


中国との交渉が暗礁に乗り上げたため、 日本は一つの中国原則を捨てて台湾を国家承認し、東アジア連合、環太平洋連合の脱退を決めた。
台湾やフィリピンなどの太平洋の島嶼国と組んで独自の経済圏を築くべきとする南派に分かれた。


日本と国交を結んだ台湾を始め、フィリピン、パラオも追随し 東アジア連合の脱退国で[[島嶼連合]]を結成し第三次世界大戦での中立を表明。
中国との交渉が暗礁に乗り上げたため、
 
日本は一つの中国原則を捨てて台湾を国家承認し、東アジア連合、環太平洋連合の脱退を決めた。
 
日本と国交を結んだ台湾を始め、フィリピン、パラオも追随し
 
東アジア連合の脱退国で[[島嶼連合]]を結成し第三次世界大戦での中立を表明。


中国は台湾・沖縄に侵攻し島嶼連合との間で東アジア戦争が始まった。
中国は台湾・沖縄に侵攻し島嶼連合との間で東アジア戦争が始まった。
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そこで島嶼連合はオーストラリアとの接近を試みた。
そこで島嶼連合はオーストラリアとの接近を試みた。


オーストラリアとニュージーランド(ANZAC)は かねてより環太平洋連合と距離をとり同盟国寄りの政策を行っていたが、
オーストラリアとニュージーランド(ANZAC)は
 
かねてより環太平洋連合と距離をとり同盟国寄りの政策を行っていたが、


[[RIMDIA構想]]を推し進めインド洋に進出する東アジア連合を警戒していた。
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=== アメリカの不介入表明とバトル・オブ・ジャパン ===
=== アメリカの不介入表明とバトル・オブ・ジャパン ===
北米連合は太平洋相互援助条約により東アジア連合と準同盟関係であったが、ネオ・モンロー主義を掲げ東アジア戦争の不介入を表明した。
北米連合は太平洋相互援助条約により東アジア連合と準同盟関係であったが、
 
ネオ・モンロー主義を掲げ東アジア戦争の不介入を表明した。


北米連合は[[大西洋戦争]]に集中していたため二面戦を避けたかった。
北米連合は[[大西洋戦争]]に集中していたため二面戦を避けたかった。
しかし一方で中国に義勇兵[[ホワイト・タイガース]]を送りベーリングルートを通して密かに軍事支援していた。


しかし一方で中国に義勇兵[[ホワイト・タイガース]]を送りベーリングルートを通して密かに軍事支援していた。
しかし一方で中国に義勇兵[[ホワイト・タイガース]]を送りベーリングルートを通して密かに軍事支援していた。
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北米連合も極東同盟も二面戦を避けるため [[第二次太平洋戦争]]開戦まで互いに宣戦布告を行わなかった。
北米連合も極東同盟も二面戦を避けるため [[第二次太平洋戦争]]開戦まで互いに宣戦布告を行わなかった。
アメリカの正式参戦を避け、ANZACの物資援助を受けた日本は樺太において北緯50度線まで押し返し、北方での戦いは膠着状態となった。


アメリカの正式参戦を避け、ANZACの物資援助を受けた日本は樺太において北緯50度線まで押し返し、北方での戦いは膠着状態となった。
アメリカの正式参戦を避け、ANZACの物資援助を受けた日本は樺太において北緯50度線まで押し返し、北方での戦いは膠着状態となった。
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中国本土では中国共産党が解党され、中国国民党が政権に返り咲き
中国本土では中国共産党が解党され、中国国民党が政権に返り咲き


ロシアと南北同盟それぞれの後ろ盾を得てウイグルとチベットが独立。日本の後ろ盾で台湾も完全独立。朝鮮半島も統一された。
ロシアと南北同盟それぞれの後ろ盾を得てウイグルとチベットが独立。
 
日本の後ろ盾で台湾も完全独立。朝鮮半島も統一された。


ロシア内戦の結果、シベリア共和国も解体され領土はロシアに返還されたが、
ロシア内戦の結果、シベリア共和国も解体され領土はロシアに返還されたが、

2022年6月6日 (月) 21:49時点における版

東アジア戦争とは第三次世界大戦中の2166年から2168年にかけて行われた

同盟国と東アジア連合大中華連合)で戦われた戦争。 東アジア戦域と同意味。

参戦国

連合国

同盟国

概要

シベリア革命と北方領土

東アジア戦争の引き金となったのはシベリア革命である。

革命により、中国の傀儡であるシベリア共和国が建国。

革命に協力したアメリカは東経150°以東の東シベリアをアラスカ州に編入。

シベリア共和国を国家承認していない日本は革命の動乱に乗じて千島列島と樺太を占領した。

革命前、日本とロシアの間で日露平和条約が結ばれ 北方四島は返還の合意に至っていたが、

その他の地域はロシア内戦の決着がつくまでの保証占領とした。

北米連合はこれを容認するつもりであったが、

中国が強く反発し、全地域からの即時撤退を要求した。

中国は日本の支配地域全域をシベリア共和国の領土であると主張した。

中国がシベリア革命で思い描いた北極海航路において樺太、千島が重要な海上拠点であるためで、

ここを日本に抑えられることはシベリア革命による利益が失われることを指していた。

アメリカはシベリア共和国を承認する代わりに

北緯50度線以南の南千島を日本領とし、樺太など他地域から撤退する仲裁案を提案したが、

中国は北方四島さえ帰属はシベリア共和国が決めると強硬な姿勢を崩さなかった。


日本はシベリア共和国を承認して中国と共同歩調を取るべきとする北派と

台湾やフィリピンなどの太平洋の島嶼国と組んで独自の経済圏を築くべきとする南派に分かれた。

中国との交渉が暗礁に乗り上げたため、

日本は一つの中国原則を捨てて台湾を国家承認し、東アジア連合、環太平洋連合の脱退を決めた。

日本と国交を結んだ台湾を始め、フィリピン、パラオも追随し

東アジア連合の脱退国で島嶼連合を結成し第三次世界大戦での中立を表明。

中国は台湾・沖縄に侵攻し島嶼連合との間で東アジア戦争が始まった。

イスラム連合のインドネシア移転と極東同盟

台湾・沖縄を占領され、 樺太にも上陸された島嶼連合は危機的状況に追い込まれた。

そこで島嶼連合はオーストラリアとの接近を試みた。

オーストラリアとニュージーランド(ANZAC)は

かねてより環太平洋連合と距離をとり同盟国寄りの政策を行っていたが、

RIMDIA構想を推し進めインド洋に進出する東アジア連合を警戒していた。

オーストラリアは東アジア戦争では中国の侵略を批判したものの民意を受けてあくまで中立を維持していた。

しかし、第五次中東戦争の結果、イスラム連合がオーストラリアに近いインドネシアに亡命すると危機感はさらに高まり

東アジア連合を脱退した日本の島嶼連合との接触を図り極東における南北同盟として「極東同盟」(2166年、春)が結ばれる。

オーストラリアは南北同盟と日本をつなぐ重要な役目を置った。

極東同盟軍は対中包囲網とイスラム連合の排除のためインドネシア・ボルネオ島に進駐するが、

イスラム連合を支援するためスマトラ島に東アジア連合(大中華連合)が侵入。

インドネシアで島単位で争う激戦が繰り広げられた。

同時にフィリピン近海でオーストラリア船舶が中国艦艇により沈められた事から

ANZACは極東同盟の規約に則り正式に大中華連合に宣戦布告した。

アメリカの不介入表明とバトル・オブ・ジャパン

北米連合は太平洋相互援助条約により東アジア連合と準同盟関係であったが、

ネオ・モンロー主義を掲げ東アジア戦争の不介入を表明した。

北米連合は大西洋戦争に集中していたため二面戦を避けたかった。 しかし一方で中国に義勇兵ホワイト・タイガースを送りベーリングルートを通して密かに軍事支援していた。

しかし一方で中国に義勇兵ホワイト・タイガースを送りベーリングルートを通して密かに軍事支援していた。

これを極東同盟は把握していたが、開戦当初はこれを黙認していた。

北米連合も極東同盟も二面戦を避けるため 第二次太平洋戦争開戦まで互いに宣戦布告を行わなかった。 アメリカの正式参戦を避け、ANZACの物資援助を受けた日本は樺太において北緯50度線まで押し返し、北方での戦いは膠着状態となった。

アメリカの正式参戦を避け、ANZACの物資援助を受けた日本は樺太において北緯50度線まで押し返し、北方での戦いは膠着状態となった。

また東シナ海方面での本土防空戦(バトル・オブ・ジャパン)に勝利し、

沖縄を解放し日本海、東シナ海の制空権を維持した。日本軍はさらに台湾奪還を目指す。

バンコク開放都市宣言とチベットの死闘

西の南北同盟、東の極東同盟、二面線を強いられた大中華連合は次第に追い込まれる。

インドの宇宙軍基地が落ちる頃、極東同盟はインドネシア全島を占領し、台湾再上陸を果たす。

台湾を拠点として対岸の福建省に上陸。

東から中国南部に進軍する台湾軍を主力とする極東同盟軍と西から進軍した南北同盟軍との挟み撃ちによりバンコクの宇宙軍本部を包囲。

タイ国首相の尽力もあり、宇宙軍と南北連合の話し合いの末バンコクは開放都市宣言を行い宇宙軍本部が南北連合に明け渡される。

宇宙軍本部が無血開城された一方でロシアと南北同盟合同軍は極東同盟の作戦と応呼してチベット独立派の支持を得て中国南西部に進軍したが、

ここでアメリカの義勇兵(ホワイト・タイガース)と死闘が繰り広げられた。

日本はこの間にシベリアに出兵しベーリングルートを遮断させた。

これにより大中華連合は次第に勢力を落とし、北伐を続ける台湾軍と挟み撃ちにし北京包囲戦の結果、大中華連合は崩壊した。

これにより2168年、冬、東アジア戦争は集結した。 東アジア戦争は第三次世界大戦最大規模の戦争であった。

戦後処理

中国本土では中国共産党が解党され、中国国民党が政権に返り咲き

ロシアと南北同盟それぞれの後ろ盾を得てウイグルとチベットが独立。

日本の後ろ盾で台湾も完全独立。朝鮮半島も統一された。

ロシア内戦の結果、シベリア共和国も解体され領土はロシアに返還されたが、

南樺太、千島の日本の駐留は北米連合降伏まで続いた。

ロシアは日本と対米共同戦線を張るためこれを容認し、アラスカ州東シベリアに侵入した。

日本はシベリア出兵、アッツ島の占領など ベーリングルート(大中華連合に対する北米連合の支援ルート)の妨害を行っていたが、

アメリカの攻撃衛星ロンギヌスのシドニー照射が引き金となり、 極東同盟の規約に従いアメリカに宣戦布告。

東アジア戦争から引き続き、アメリカとの間で第二次太平洋戦争を始めた。

シベリア共和国はその領土を失ったが、亡命政府が東シベリアに拠点を移し、このままアメリカ本土戦へ移行する。

赤…大中華連合+北アメリカ連合 青…南北同盟+極東同盟 赤矢印…連合軍の進路 青矢印…同盟軍の進路